ぶらり歩き

26. 湯島、谷中、根津を歩く                           平成23年10月8日

 テレビで放映された根津界隈の特集番組に触発され、大学時代の友人5人とも意見が一致し、地下鉄・湯島駅に集合した。初秋の穏やかな日差しに恵まれ、暑くも寒くもないウォーキング日和の中を約8km歩き回る。

 目的は根津辺りの探索であるが、調べてみると根津界隈だけではウォーキングとしてはあまりにも歩行距離が短いため、湯島、谷中を経由して根津に向かう。

 湯島駅から程近い湯島天神に向かって歩き出し、左側に白梅の樹木を見ながら女坂の石段を登り、境内に出る。湯島天神は雄略天皇2年(458年)に発布された勅命による創建といわれており、由緒ある神社である。その後、太田道灌の保護を受け再建され、更に江戸時代に入り、幕府の最高学府とされる湯島聖堂が神田川の畔に開設されると、湯島周辺は文教の地となり、湯島天神は学問の神様といわける菅原道真を祀るようになったという。現在も、受験の時期になると、合格祈念の親子が境内を埋めつくす光景は東京の風物詩といえよう。
 境内にはいくつかの石碑が建てられており、そんな一つに、江戸時代半ばまでは街中の辻で行われていた講談を、この神社の境内に高座を設けて演じたことを記念した講談高座発祥の地の石碑(写真1)がある。境内は参拝する人々で賑わっているが、11月の七五三参りの案内板が早くも準備されている。

 湯島天神を後にして、不忍池(写真3)に向かう。水面は緑鮮やかな蓮の葉で蓋(おおわ)われて初秋の日差しを受け、清々しさを与えてくれる。この池は江戸時代に作られた人工池と思っていたが、数千年前に東京湾の入り江であったものが、取り残されて池となったようである。
 しばらく不忍池に沿って歩き、初秋の散策を楽しむ家族連れ、二人連れとすれ違いながら、台東区下町風俗資料館の前まで来ると、大道芸人が数メートルの高さのパイプ大の上で曲芸を披露している。下町の風情を感じさせる。台東区下町風俗資料館を覘いてみると、旅行者と思われる外国人、家族連れで大賑わい。再現された江戸時代、過ぎ去りし昭和の生活、数々の展示品を見ると、50年も昔の幼い頃の情景が次々と浮かんできて飽きることがない。

 不忍池から上野動物園の間を通る道を進むと、現在は水月ホテル鴎外荘となっている明治の文豪森鴎外の旧居跡(写真3)がある。ホテル内の鴎外荘には旧居が保存され、鴎外の執筆活動、生活の場一端を現在に伝えているという。

写真1 湯島天神 講談高座発祥の地石碑 写真2 不忍池 写真3 森鴎外 旧居跡



 
 水月ホテルを過ぎて、クロスする小道を覗くと、銭湯の開店を待つ数名のお年寄りの姿があり、下町を感じさせる。

 上野動物園を右に見て、坂道を登っていき、上野高等学校に沿って歩き、上野桜木の交差点に出ると台東区下町風俗資料館付設展示場(写真4)がある。展示場は旧吉田屋酒店の建物を利用したもので、室内には帳場、各種銘柄の一升瓶が壁面の棚に並べられている。この日は第12回谷中祭りが開催されており、旧吉田屋酒店前には毛氈敷きの縁台が並べられている。そして、秋の風物詩の菊人形が店前に展示されて、秋の祭りを盛り上げている。

 この界隈には古い家屋が何棟が残っており、展示場の向かいの角には、そのような古い町屋を改造したカフェ(写真5)が建っている。二階は下町の生活を感じさせる造りがそのまま残されている。

 このような家が両側に散見される道を左に曲がると、観音寺の築地塀(写真6)が約40mにわたり残っている。谷中祭りのイベントであると思われる、踊り終えたのか、これから会場に向かうのかわからないが、フラダンス姿の女性達と行き違う。築地塀の一角では、テレビの撮影クルーがレポーターの女性とポーズのつけ方を議論している。この築地塀は約200年前に造られ、瓦と土を交互に重ねた造りとなっており、現在に江戸時代の構築物を伝えるとともに、往時の佇まいを伝える貴重な空間を残している。

 スピーカーから発せられる祭りの催し物の演奏音を頼りに、石段を下っていくと、初音の森には模擬店の屋台が軒を並べ、フラダンスの女性達が勢ぞろいしている。特設ステージが設けられ、二人の男性ミュージシャンが想いをこめて歌声を響かせている。時間が許せば聴衆に混じって歌、踊りを楽しみたいところであるが、日暮れ前には根津、出発地の湯島まで歩く計画であるため、一見しただけで離れる。 

写真4 台東区下町風俗資料館付属展示場 写真5 古い町屋を改造したカフェ 写真6 観音寺 築地塀




 住宅が立ち並ぶ街路を右折左折しながら、和時計が多数展示されている大名時計博物館に向かう。しかし、閉館時間の午後4時をわずかに過ぎたため、残念ながら勝山藩下屋敷跡に建つ博物館の門外から、敷地内を眺めることしかできなかった。

 ここから不忍通りを目指して坂道を下り、根津神社(写真7)に向かう。根津神社は今から約1900年ほど前に創建された由緒ある古社といわれており、先ほどの湯島天神よりも古い歴史をもつ。湯島神社と同じように、領主であった太田道灌、江戸時代に入ると徳川氏の支援を受けている。春には境内にあるつつじ苑に約50種3000株のツツジが咲きそろい、大勢の見物客で賑わう。根津神社のつつじ苑の外壁に沿って続く新坂(権現坂)を登り、東大地震研究所の通用門から東大構内を横切る予定であったが、休日で閉門されている。仕方なく諦めたときに、研究所の車がやってきて門を開けるということで、運良く構内にはいることができる。構内に植えられた銀杏の木の下にはギンナンの実が落ちていて、近所の人がビニール袋いっぱいに拾い集めている。

 東大構内に架けられた歩道橋を渡り、工学部の門から構内を離れて本郷通りを横切る。区内に6つあるという新坂を下り、菊坂下道を歩く。昔、菊栽培が盛んなところから、菊坂と呼ばれたといわれている。下道は階段を登ると並行する菊坂上道と繋がり、両側に民家が建て込む細い路地となっている。そんな路地に直角な更に細い路地の奥に、樋口一葉が数年間居住した住居跡があり、一葉が使ったといわれる井戸(写真8)が今も残っている。この路地の奥の石段を登ると、3階建ての木造住宅が建っていて、菊坂下道が谷底を通る道であることがかわる。

 秋の陽が釣瓶落としのように沈んできて、打ち上げの湯島駅に急ぎ足となる。春日通りに出ると、湯島駅の方向に東京スカイツリー(写真9)が夕闇を背景にして、通りの両側に建ち並ぶビルの間にくっきりと見える。これからスカイツリーが東京の景観を代表する存在となることは間違いなさそうである。

 打ち上げの店では飲み放題の越の寒梅、八海山、吉乃川、久保田などの日本酒を堪能する。 

写真7 根津神社 写真8 樋口一葉が使った井戸 写真9 東京スカイツリー



 

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